あの日も暑かったです😢・・・・・・
乗客、乗員520人が犠牲になった、日航機墜落事故から、12日で33年。
今、日本航空では、事故を知らない世代がおよそ95%にのぼる。
風化させないための取り組みと、遺族の思いを取材した。
1985年8月12日午後6時56分、JAL123便は御巣鷹の尾根に墜落した。
現場から救出された生存者は、わずか4人。
乗客、乗員520人もの命が失われた。
2018年5月、その御巣鷹を初めて登る若者たちが。
日本航空の整備部門の新入社員。
中嶋一樹さん(22)は、空の安全を守りたいと思いを抱き入社。
事故後5年以上たった90年代に生まれた、事故を知らない世代。
事故現場にある慰霊碑を訪れたあと、新入社員は、事故の現実に直面することに。
被害者たちの墓標。
生まれて初めて事故の現実に向き合ったことで、ある思いが芽生えていた。
中嶋さんは「(初めて御巣鷹を登って?)お客さま、このような犠牲者の方やご遺族の方の全ての思いを背負って、わたしは飛行機を整備していかなければならないと思います」と話した。
現在、日本航空では、墜落事故当時の社員は、わずか5%にまで減っている。
この事故で、当時9歳だった息子・健君を亡くした美谷島 郁子さん。
遺族でつくった「8.12連絡会」らが、7月、事故を起こした機体を展示している日本航空の施設を訪れた。
遺族らを案内したのは、入社3年目の事故を知らない世代・高崎藍子さん。
事故の原因などを説明する高崎さん。
遺族も耳を傾ける。
案内終了後、遺族の前に立つと、内に秘めた思いを明かした。
高崎さんは「すいません。旦那さんを亡くされたりとか、お子さまを亡くされた方々が、わたしの説明を聞きながらどう思っていたのかと考えながら、ご説明させていただきました」と話した。
事故を知らない世代ならではの、遺族への思い。
その思いは、遺族に伝わったのか。
美谷島さんは「知らなくて当然。だからこそ、一緒のところに立って一緒に泣いてくれること。あの涙が、わたしたちは力をもらえますね」と話した。
2018年8月11日 土曜 午後6:56
FNN PRIME
https://www.fnn.jp/posts/00398491CX
★1が立った時間 2018/08/11(土) 20:13:14.86
前スレ
【JAL123便】“知らない世代”95%の中で…日航機墜落事故 きょう33年 1985年8月12日午後6時56分 ←※実質★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534024089/
(出典 www.geocities.jp)
95%は言い過ぎw
教育しろよ
この事件について調べると陰謀論がエスカレートしてすごいことになってるよw
中には日本の上空でアメリカ、ロシア、自衛隊の戦闘機がドッグファイトしてたなんてのもあるww
この事故はグロ過ぎた。
衝撃で身体の骨と臓物が皮膚を突き破って出て来るとか北斗神拳みたいな
死に方してたらしいからな。
30代後半の俺でも知ってるわ
当時JAL社員じゃない奴でも40代以上なら知ってるだろ
>>14
たたかう若者は青山 透子 (アオヤマ トウコ) さんを見習っているよ。
東京大学大学院・講師の元JAL青山透子さんは徹底的に調べ、そして調べて書いた。
<山田洋次監督>東京医科大女子受験生への減点問題に「日本中の学生がストを起こしてもおかしくないのに怒らなくなった」★ http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html
↓
『日航123便墜落の新事実』
目撃証言から真相に迫る
青山 透子 著/ 全国学校図書館協議会選定図書・河出書房新社
https://themusicplant.blogspot.com/2017/09/123.html
いま若者が必死に読む『日航123便墜落の新事実』
目撃証言から真相に迫る
青山 透子 著
青山 透子 (アオヤマ トウコ)
元日本航空国際線客室乗務員。国内線時代に事故機のクルーと同じグループで乗務。その後、官公庁、各種企業等の接遇教育に携わり、専門学校、大学講師として活動。東京大学大学院博士課程修了、博士号取得。
読んでいない奴は*だと若者は言う。 http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html
前著からさらに探査の精度が深まり、頁をめくるごとに次々と新事実が明らかになっていく迫真の展開力で一気読み必至!
http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/Philippines3.html
先輩を失った元スチュワーデスが当時の警察・自衛隊・政府関係者、医師、遺族、目撃者らに取材を重ねた先に見えた新事実。墜落の真相解明に拘り続ける理由と事実を見つめる勇気を伝える。
日航機123便墜落事故原因に迫る新事実!
この事故は「事件」だったのか!?
1985年8月12日。日航ジャンボ機123便は、なぜ御巣鷹の尾根に墜落しなければならなかったのか──。
「この出来事を風化させてはならない。」三十三回忌を前に、その情熱が生んだ、真相究明に一石を投じる渾身のノンフィクション! http://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/26811072.html
15歳のとき母親が亡くなった夏だから鮮明に覚えているw
最初から海上離脱して水面不時着でほとんど助かった
機長が空港に帰還しようとした無謀な判断で状況が悪化し
最後は山に激突し炎上、陸上ゆえの焼死と山奥の救援遅れであれだけの大惨事になった
85年つったら電電公社がNTTに変わった頃だな。
同じ頃に500円玉とか新札が聖徳太子に変わってつうか
同時に流通してたんで財布の中の札がごちゃごちゃのぐちゃぐちゃ
広島のクイズ番組見てたら司会の坂本九さんが来られませんてなってビックリしたな
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